少し考えた。。。
人間、ヒトにかかわる感情について。
動物には感情がある。怒りや、悲しみ、恐怖など。
それはなんのためにあるか。生存する―すなわち、生き残る、「本能」のためである。
では、ヒトという高等動物にあって、IQの40以上の動物にないものはなにか。
不安、空虚。ニヒリズム。
最近、バスである一人の男性の言葉を聞いて以来、感情の波が下がりだして、落ち込んでいっていた。
他人の人生を決め付けるつもりはないが(一般化するつもりはないが)何かのきっかけで絶望し、それから否定的、ネガの塊になってしまった人なのかもしれないと感じた。
そして、ネガは伝染することを知った。ネガの過度形が、「DV」、「ネグレクト」、「○○ハラスメント」なのかもしれない。その加害者は、ニヒリズムを抱いていないか、精神分析の研究がしたいと思った。報酬系と依存症、ニヒリズムは関連するのではないかとも考えている。
ネットが生み出すものはなにか。依存とは。
他者への共感。他者理解など、できるものなのか。
自身のコンフォートゾーンに身を置いている以上、相手の批判や中傷は、つらくなるだけのものではないか。
そこで、東浩紀さんの「弱いつながり」を読んだ。
別にネットではつながりは弱くていいんじゃないか、リアルでの「体験」を重視すればいいんじゃないか、という提言が共感できた。
私のこれまでの経過-とにかく病院通いだった
生い立ち
私は極少体重児でした。予定日より2ヶ月も早く生まれました。未熟児で仮死産。蘇生し、保育器に入れられて2ヶ月ほど生まれた病院に入院していたそうです。
その後は体重は一回400gくらい減少の後、順調に増えていくも、なかなか発語・歩行をしないので地元の療育センターに通い始める。
それが効いたのか、ようやく発語を始める。2歳のことだった。療育センターには1年間通い、住んでいる地域の市立保育園に特別に入ることができました。
3歳ごろから歩行を始め、そこからは普通の生活。保育園や時たま定期健診に通う生活。保育園卒園後からスイミングスクールに通う。6年間通い続けました。
もしかしたらLD(Learning Disability,学習障害)があるかもしれないと小児科の先生に言われました。後述しますが、そのようなことは見られませんでした。
小学校時代
算数と図画工作があまり得意ではありませんでした。特に図形を描きなさいという空間図形や作図問題、絵を模写しなさいというのがかなり不得意で、不得意なものはやる気がないため担任の先生の下、居残りで課題を終わらせていたこともありました。暗算も苦手でした。一方で漢字は得意でした。上述のほか、球技も不得意だったことから、空間認識能力があまり高くなかったのかもしれませんね。
中学校時代
いろいろなことが表面化したのがこの時期でした。
相変わらず漢字は得意でした。数学・英語・美術や体育が不得意でした。
数学は授業休みはないのになかなか点数が取れない状況。宿題にもやる気がありません。あと国語の相手の気持ちを想像して書きなさい、抜き出しなさいが苦手。
そしてここから人生最大のピンチを迎えます。
いじめを受けました。
暴力的ないじめを受けたことにより、不登校になりました。
そんな状態では何もできず、勉強ではどんどん遅れを取っていきます。
約4週間の不登校のあと、ほぼなにもありませんでした。
おとなしく、抵抗しなく、言いかえさなさそうな人という感じだったから狙われたのか、それともなんらかの気質だったのか…今でも不明です。
蕁麻疹が出るようになりました。
そして中2・中3の内申点が低かったため、市内ワースト2の工業高校に合格し、進学。
たぶん当時の生活サイクルは日中は学校で授業を受け、18:30くらいまで部活。それから帰宅して夕食。あとはTVやラジオ。23:00くらいから、宿題やりながら深夜ラジオを聴いていましたね。J-WAVE(81.3MHz)が好きで、当時放送していたOH!MY RADIOを聴いていました。それが終わるのが深夜3時。そこから寝て、7:30頃に起きて、通っていました。生活委員会に3年間所属していたので、8時から校門に立って挨拶をしていました。
高校時代
共学ではあるものの、男女比率9:1くらいのほぼ男子校でした。
なぜか入学して最初の部活は陸上部に入部しました。このころから何かと衝動性が出現することが増えます。
相変わらず数学と製図は不得意。交通安全委員会と化学部に所属しました。
朝は6:30に起き、朝食やらいろいろ済ませ、7:29のバスに乗り、終点で乗り換え、8:30に登校。渋滞のため、30分は平気で乗り換え先(駅前)まで掛かる。それからは10分くらいで学校最寄りまで着く。東日本大震災の影響で、引越しをする。引越し前のバス+電車(バスで終点まで~電車で駅5つ)と、引越し後のバス+電車と、バス+バス(市バスのみの通学定期)はさほど時間は変わらず。。。
自宅最寄りから乗る最初のバスが、距離が長く、東急田園都市線とJR南武線を結んでいるため、田園都市線が人身事故で運転見合わせになったり、雨や雪で自転車、徒歩の人たちがバスや自家用車に切り替えるため、混雑がひどくなり、満員通過で予定のバスに乗れなかったりや遅延が目立ち、予鈴や本鈴遅刻することもあった。
最遅延記録は、雪の日で、田園都市線人身事故の日。8:30にバスに乗れたが、9:30くらいに登校した時。
8:40くらいに朝のHR(ホームルーム)。提出書類の期日等の確認をする。
ここで一番の問題だったのが、月曜日の1~4時間目まである実習。あれは大変だった。8:30頃に到着してすぐ着替え。作業着に着替えて持ち物の事前確認。教科書やワークブック、レポート用紙、ボールペンとホッチキスは欠かせない。なにか忘れたら忘れ物チェックで指摘される。あとは頭髪・服装チェック。髪染めもせず、"校則違反だからなのか"、"そもそも染める気もなく"、しなかった。"身長が伸びるであろう"という理由で買った作業着も、身長は伸びず、裾を引きずって歩いていたので、それはよく指摘された。
8:50~12:40まで授業。そこから昼食。13:25まで昼休み。
13:25~15:20まで授業。その後各持ち場で掃除。
15:30~15:40まで帰りのHR。そこから部活。
活動(実験等)の進捗により大幅に帰る時間が変わる。18:30(最終下校時刻は18:30だった)まで居残り、活動していた。最遅記録は夏のイベント出展のため21:00下校、21:40帰宅ということもあった。
夕食を食べ、レポート提出のある週は深夜までかかって終わらせたこともあった。高1の時のレポート提出は手書きボールペンだったが、高2からは情報コースだったのでMS-Wordで作成し、印刷して表紙を付けてホッチキスで留めて提出すればOKだった。
J-WAVEのHello World、その後のRADIPEDIAを聴き、3:00に就寝。そのため、疲れからか帰りのバスで寝てしまい、乗り過ごすこともしばしばあった。
そしてホントの人生最大の危機に見舞われる。
主訴は、幻聴、被害妄想、監視されている感覚が先に来て、その後、意欲減退がありました。最初は東急東横線沿線のクリニックに通い、症状から統合失調症との診断を受けました。
その後も診断名は変わらず、
2013~2014:東横線沿線(日吉)
2015/10~ 現在: 東横線沿線(島式ホームの駅)
のクリニックに行きました。
現在の主治医からは、統合失調症、発達障害と診断されています。
分からないことが分かるようになったのは、ひとつ良かったことと思っています。
現在の服薬状況
ルーラン(ペロスピロン塩酸塩)
過去の服薬経験
インヴェガ
レクサプロ
と、ほぼ全ての非定型向精神薬と抗うつ薬と精神安定剤を試しました。
中にはふるえが出るものもあったので、そのような副作用が出た薬はすぐに中止して、変えてもらったりしました。
そんな感じですかね。
もうすぐ21歳ということで…
もうすぐ21歳になります。
人生の決定するタイムリミットは少ないので、もうそろそろ活動的になにかをしていかないと、ちょっとヤバいかな、と考えています。
とにかく中学・高校の復習は継続する予定です。精神的な気分により集中力やMotivationに変動があるので、継続してはなかなかうまく行きませんが…。
最近の話題-F1パブリックビューイングに行ってきた-
ちょっと時間が空いていますが、先週の日曜日の話を。
その日は、相変わらず一人で皇居・馬場先門のパレスサイドサイクリングコースへ
自宅→(バス)→小杉駅→(東急線)→等々力→(東急バス東98系統)→馬場先門みたいな感じでした。
サイクリングコースで4、5周しました。現地までの交通費+食事・飲み物代以外は無料なので、極論ですが自宅から走りにこれちゃうわけです。一周3kmなので、4、5周したら12~15kmといった感じです。所要時間は20分程度(自分のペースや、信号のタイミングもあるため、若干前後する)。
13:00くらいに切り上げ、ホンダ本社のある青山へ。
青山に着いたら、結構な人だかり。まぁテストの結果は前年と比べたらいいことはいい。PUの冷却系や、特にデプロイメント(MGUからバッテリーへの再充電の効率)を見直したり、信頼性を向上させたりした。確実に壊れにくくなっている。
中央のスクリーンモニターにはすでにフジテレビCS放送が映し出されていた。
今回の実況は小穴アナ、解説は右京さんと川井ちゃんである。
ひとことでいえば、面白いレースだった。
フォーメーションラップでクビアトがストップしてシーズン最初のリタイアとなってしまう。
スタートはベッテル・ライコネンのフェラーリ勢が飛び出しワン・ツー。→フェラーリファンの僕他みなさん歓喜。
あとはハミルトンやロズベルグがどこまで追い上げるか。
フェラーリの好機もそんなに長くは続かないのである。。。
ベッテルのラップタイムがだんだん落ちてきた。スーパーソフトタイヤがタレてきたのがわかる。
16周目あたりにベッテルがピットイン。しかしライコネンはステイアウト。ピットアウトしたベッテルはロズベルグを逆転したが、ギャップが小さいのでライコネンが順位を失うのは明白だった。
17周目にマクラーレンホンダ・アロンソとグティエレス・ハースが接触。DRSを作動させてスリップストリームからオーバーテイクしようとしたアロンソがエンジントラブルによりブレーキングを早めたグティと接触。1回転半回る大クラッシュで、PV場内からも悲鳴が上がった。僕もびっくりした。
SCDになり、その後バリアの修復やデブリの多さから赤旗中断に。
7分間中断し、1周のSCランの後、再スタート。
中断中はタイヤ交換ができるので、中断前のタイヤをそのまま使うドライバーもいれば、タイヤをニューのミディアムに交換して臨むドライバーもいた。
その筆頭がハミルトンである。
1位ベッテル。しかし彼はSS→SSなので2種類のタイヤを使用するルールを消化していない。もう1度ピットストップをする必要がある。しかしかなりの距離を走ってきたので23秒のロスタイム分のギャップをロズベルグから稼ぐのは不可能。ラップタイムの差もあまりない。
2位ロズベルグ。再スタート時にMを選択。もうピットストップはない。ベッテルについていかなくても勝機はある。
となって、結局ベッテルはピットインし、Sに交換してハミルトン追撃。
残り2ラップの最終1コ前のコーナーでオーバシュート。コースオフ。ハミルトンを逆転のシナリオは絶たれた。
ロズベルグが優勝。ハミルトン2位。ベッテル3位。2015年は1位 HAM 2位 ROS
3位 VETだった。オーストラリア開幕でのチャンピオン獲得率は高い。今年は、とうとう「無冠の貴公子」が輝く時代が来て、ヒル以来の親子2代チャンピオンという夢を成し遂げられるのか?
僕の好きなドライバー、ライコネンはツキのないレース。20周目にインダクションボックスから煙。火も出た。去年もピットストップのミスによりリタイア。ベッテルと同じくらいのペースで走れるのに、ツキがない。。。
あとはハース・グロージャン。
本当に小松さんとのコンビは凄い。新興チームなのにポイント獲得って、2002年のトヨタ、ミカ・サロ(当時も6位1ポイント。グロジャンも6位。現在は8ポイント。)以来。
ロータスでの最終年の3位表彰台も素晴らしかった。なにかこの2人は起こしてくれそうな気がする。今後に期待。
あとはフェルスタッペン。若いな。。
と、ドドッと振り返りましたが、久々に面白いレースを見れたような気がしました。
次のパブリック・ビューイング(=PV)がいつになるのか楽しみです。
たぶん、やるとしても中国GPだな。あと、スーパーGTも気になる。
4月10日にやるらしいので、観に行く予定。結構疲れた割には眠くなりにくい印象でした。これからも、自転車続けます。
未来創造(想像?)する
最近は、人と喋るのが億劫であり、ひきこもりがちであり、好きなものに興味がない感じ。しかし、勉強だけはなぜか出来ている。習慣になりつつある。
「小・中・高でやった計算まるごとドリル」というものを買ったが、これが面白い。
ゆくゆくは高校までの教科の復習全部終わればいいな。
あとは英語とドイツ語とイタリア語をどこまで上達できるか。
海外に行けたらいいな~とか思っているのです。
ただ、なんらかの精神障害なので、安定しないのです。
もっと地方に行けば解消するかもしれませんが…。
国語・数学・理科(物理・化学・生物)などを復習・学習していきます。