私のこれまでの経過-とにかく病院通いだった

生い立ち

私は極少体重児でした。予定日より2ヶ月も早く生まれました。未熟児で仮死産。蘇生し、保育器に入れられて2ヶ月ほど生まれた病院に入院していたそうです。

その後は体重は一回400gくらい減少の後、順調に増えていくも、なかなか発語・歩行をしないので地元の療育センターに通い始める。

それが効いたのか、ようやく発語を始める。2歳のことだった。療育センターには1年間通い、住んでいる地域の市立保育園に特別に入ることができました。

3歳ごろから歩行を始め、そこからは普通の生活。保育園や時たま定期健診に通う生活。保育園卒園後からスイミングスクールに通う。6年間通い続けました。

もしかしたらLD(Learning Disability,学習障害)があるかもしれないと小児科の先生に言われました。後述しますが、そのようなことは見られませんでした。

 

小学校時代

算数と図画工作があまり得意ではありませんでした。特に図形を描きなさいという空間図形や作図問題、絵を模写しなさいというのがかなり不得意で、不得意なものはやる気がないため担任の先生の下、居残りで課題を終わらせていたこともありました。暗算も苦手でした。一方で漢字は得意でした。上述のほか、球技も不得意だったことから、空間認識能力があまり高くなかったのかもしれませんね。

 

中学校時代

いろいろなことが表面化したのがこの時期でした。

相変わらず漢字は得意でした。数学・英語・美術や体育が不得意でした。

数学は授業休みはないのになかなか点数が取れない状況。宿題にもやる気がありません。あと国語の相手の気持ちを想像して書きなさい、抜き出しなさいが苦手。

そしてここから人生最大のピンチを迎えます。

いじめを受けました。

暴力的ないじめを受けたことにより、不登校になりました。

そんな状態では何もできず、勉強ではどんどん遅れを取っていきます。

約4週間の不登校のあと、ほぼなにもありませんでした。

おとなしく、抵抗しなく、言いかえさなさそうな人という感じだったから狙われたのか、それともなんらかの気質だったのか…今でも不明です。

蕁麻疹が出るようになりました。

そして中2・中3の内申点が低かったため、市内ワースト2の工業高校に合格し、進学。

たぶん当時の生活サイクルは日中は学校で授業を受け、18:30くらいまで部活。それから帰宅して夕食。あとはTVやラジオ。23:00くらいから、宿題やりながら深夜ラジオを聴いていましたね。J-WAVE(81.3MHz)が好きで、当時放送していたOH!MY RADIOを聴いていました。それが終わるのが深夜3時。そこから寝て、7:30頃に起きて、通っていました。生活委員会に3年間所属していたので、8時から校門に立って挨拶をしていました。

高校時代

共学ではあるものの、男女比率9:1くらいのほぼ男子校でした。

なぜか入学して最初の部活は陸上部に入部しました。このころから何かと衝動性が出現することが増えます。

相変わらず数学と製図は不得意。交通安全委員会と化学部に所属しました。

朝は6:30に起き、朝食やらいろいろ済ませ、7:29のバスに乗り、終点で乗り換え、8:30に登校。渋滞のため、30分は平気で乗り換え先(駅前)まで掛かる。それからは10分くらいで学校最寄りまで着く。東日本大震災の影響で、引越しをする。引越し前のバス+電車(バスで終点まで~電車で駅5つ)と、引越し後のバス+電車と、バス+バス(市バスのみの通学定期)はさほど時間は変わらず。。。

自宅最寄りから乗る最初のバスが、距離が長く、東急田園都市線とJR南武線を結んでいるため、田園都市線が人身事故で運転見合わせになったり、雨や雪で自転車、徒歩の人たちがバスや自家用車に切り替えるため、混雑がひどくなり、満員通過で予定のバスに乗れなかったりや遅延が目立ち、予鈴や本鈴遅刻することもあった。

最遅延記録は、雪の日で、田園都市線人身事故の日。8:30にバスに乗れたが、9:30くらいに登校した時。

8:40くらいに朝のHR(ホームルーム)。提出書類の期日等の確認をする。

ここで一番の問題だったのが、月曜日の1~4時間目まである実習。あれは大変だった。8:30頃に到着してすぐ着替え。作業着に着替えて持ち物の事前確認。教科書やワークブック、レポート用紙、ボールペンとホッチキスは欠かせない。なにか忘れたら忘れ物チェックで指摘される。あとは頭髪・服装チェック。髪染めもせず、"校則違反だからなのか"、"そもそも染める気もなく"、しなかった。"身長が伸びるであろう"という理由で買った作業着も、身長は伸びず、裾を引きずって歩いていたので、それはよく指摘された。

 

8:50~12:40まで授業。そこから昼食。13:25まで昼休み。

13:25~15:20まで授業。その後各持ち場で掃除。

15:30~15:40まで帰りのHR。そこから部活。

活動(実験等)の進捗により大幅に帰る時間が変わる。18:30(最終下校時刻は18:30だった)まで居残り、活動していた。最遅記録は夏のイベント出展のため21:00下校、21:40帰宅ということもあった。

夕食を食べ、レポート提出のある週は深夜までかかって終わらせたこともあった。高1の時のレポート提出は手書きボールペンだったが、高2からは情報コースだったのでMS-Wordで作成し、印刷して表紙を付けてホッチキスで留めて提出すればOKだった。

J-WAVEHello World、その後のRADIPEDIAを聴き、3:00に就寝。そのため、疲れからか帰りのバスで寝てしまい、乗り過ごすこともしばしばあった。

そしてホントの人生最大の危機に見舞われる。

主訴は、幻聴、被害妄想、監視されている感覚が先に来て、その後、意欲減退がありました。最初は東急東横線沿線のクリニックに通い、症状から統合失調症との診断を受けました。

 

その後も診断名は変わらず、

 

2013~2014:東横線沿線(日吉)

2014/6~8:南武線沿線(武蔵新城)

2014/10~:南武線沿線(武蔵溝ノ口)

2015/10~ 現在: 東横線沿線(島式ホームの駅)

 

のクリニックに行きました。

 

現在の主治医からは、統合失調症発達障害と診断されています。

分からないことが分かるようになったのは、ひとつ良かったことと思っています。

現在の服薬状況

ルーラン(ペロスピロン塩酸塩)

バルプロ酸(デパケンR,Rは徐放)

 

過去の服薬経験

リスパダール

エビリファイ

インヴェガ

サインバルタ

セロクエル

ロナセン

パキシル

ジェイゾロフト

レクサプロ

ドグマチール

メイラックス

ソラナックス

ワイパックス

 

と、ほぼ全ての非定型向精神薬抗うつ薬精神安定剤を試しました。

 

中にはふるえが出るものもあったので、そのような副作用が出た薬はすぐに中止して、変えてもらったりしました。

 

そんな感じですかね。